大工問題

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「大工問題」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。

大工問題(だいくもんだい)とは、ほとんどの書物において、歴史的建造物の「建設者」がそのものを造った大工たちの名前ではなく、建設を命じた人物になっているという問題である。

問題の所在編集

この大工問題の所在は大工の人権がほぼ無視されているという所にある。日本国憲法には法の下の平等のため、社会的な身分によって差別されないということが書かれている。つまり、足利義満織田信長がそれぞれ金閣安土城を建てろと命令したとき、いくら彼ら(建設を命じた人物)の社会的な身分が高かったからといえども、大工だから大工だから、と言って大工たちの栄光と名誉をないものにしてしまってはならないのである。

中立的な観点で記事を書いているなどと言っているウィキペディアも例えばタージ・マハルの建設者はムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンであるとしていたり、万里の長城の建設者を始皇帝としていたりする。

これはウィキペディアの掲げる中立的な観点からは到底外れているはずである。

歴史編集

この問題は少なくとも日本国内では古事記ができたときからあったとされる。このような記述になった理由は神話の部分については神々が物を創造したという記述でよかったため、そのように口述(古事記は口述したものの記録であるため)したが、その後の史実を口述する際にそのように言う癖がついてしまったためだといわれている。その後、大正時代には吉野作造ら、戦後はGHQが(後者は占領という形でだが)それぞれ労働者の権利運動を進め、労働条件の改善などは達成されたが、大工問題の解決には至らなかった。これは大工問題がそのころは教科書を編纂したりする先生にしか知られておらず、あまり知名度が高くなかったため仕方ないと思われる。

21世紀になってからは大学進学率も大きく向上し、勉学をするものも増えたためその分教科書や資料に触れる者も多くなり大工問題の知名度もそれに伴って向上していった。また、大工の人々も感覚だけに頼らない建築を身に付けたり、資格を取るために大学に行くケースも増えた。そのため大工業界でも大工問題の知名度が上がり、抗議運動も盛んになっていった。

また、このような抗議を受けた文科省2008年に「入学試験の過去問題を解くうえで過去問題には答えが建設を命じた人物を「建設者」と書かれていることにより、大工の名前をすべて書かないといけないことになってしまうという問題が起こる」、「建築にかかわった大工の人々の名前をすべて教科書に書くのは難しい」とし、人権侵害は認めるが、この問題に対する対応はしないとしている。

関連項目編集


この項目「大工問題」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ)