「せっかく信長に、あの水戸黄門と同じ天下の副将軍にしてやるぞと持ちかけてやったのに、副将軍は要らないから堺が欲しいとは、信長はうつけじゃのう」
堺と織田信長 について、足利義昭

堺市(さかいし)では古墳がたくさん作られて地底人が多く住んでいることから、地底人と生身の人間による共同住民自治が日本で唯一認められた特別地区である。住民構成は地底人67%、人間21%、その他2%である。なお、全てを足しても90%にしかならないが、これが公式発表なんだから仕方がない。理由は不明だが、「安い」「仕事きっちり」と言われることもある。

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沿革編集

古代:堺地域では地底人のために、権力者の手でたくさんの古墳が作られて、人間は副葬品の土器(須恵器)の生産に従事していた。後には地底人の成仏の為に、寺院の梵鐘作りに従事して鋳物技術が発達した。


室町時代中盤~戦国時代:辛気臭い地底人や古墳、寺院のお世話に疲れた人間達は、海外への貿易事業と鋳物技術を活用した鉄砲生産に活路を見いだして成功。堺では住民一同が参加して大富豪という西洋花札大会を定期的に行い、ベスト36に入った者を大富豪とし、会合衆という名の町内会を組織して、堺を統治する独自の自治都市を築いた。周囲に防御兼遊泳用の堀を廻らせた環濠都市国家だったが、織田信長の前に屈服。信長の死後は豊臣秀吉が堺の近くに大阪城と城下町を築いたため、堺は現在に至るまで大阪の下に甘んじる羽目になった上、秀吉によって堺の堀が埋められてしまった。

皮肉にも、秀吉の死後に豊臣家は徳川家康の口車に乗せられて、まんまと大阪城の堀を埋め立てさせてしまった。孤立して滅亡必至の豊臣家を唯一守ってきた堀をみすみす失ってしまったことに、埋め立て完了後にやっと気づいた豊臣秀頼はペットの大野道犬に命じて、鬱憤晴らしと堺が家康に協力した恨みで、堺を徹底的に焼き討ちにした。豊臣家は直後に滅び、大野道犬は堺で殺処分されたが、江戸幕府が鎖国したこともあり、堺の海外への貿易事業は頓挫した。

なお現在も堺の秀吉嫌いは有名で、秀吉マンセーの大阪も大嫌いである。お好み焼に使う「コテ」のことを堺では「テコ」と反対に呼ぶあたりに反逆心の表れが見て取れる。逆に堺では家康が尊敬されている。大阪の陣で家康は実は戦死していたが、江戸幕府の体面を考えて家康は生きていることにし、密かに堺の寺で家康を埋葬し、堺はその秘密を守り続けたという伝説が生まれるぐらいであった。

2001年:地底人が襲来。大した抵抗もできずに崩壊。政府は彼らによる自治を承認。

2005年:隣接する町の美原町に侵攻、そして占領を発表。現在も激しい抗争が続いている。

古墳編集

この街の特徴の一つに、古墳と呼ばれる地底人の基地と思しき巨大建造物が多数存在することが上げられる。なお、最近のペット事情を鑑みると、古墳の周囲に巡らされた濠にはワニアナコンダカンディルといった人食い生物が多数生息している可能性があるため、不用意に近づいてはならない。外国人なども見物にくるようだが中に入れないことに絶望して帰っていくのがよく見られる。なお、一般人に知られないために古墳は基本的に木を生やし森を装っている。

代表的な古墳
  • 仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)
    • 大きすぎてよくわからない。江戸時代まではただの行楽地。上空から見なければただの林である。
  • 履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)
    • すごく大きい。
  • 反正天皇陵(はんぜいてんのうりょう)
    • かわいそうなほど小さい。
  • 日本武尊陵(にっぽんぶそんりょう)←<やまとたけるのみこと>ぐらい読めよ。
    • 堺にはない。日本武尊にゆかりがあるのは大鳥大社ぐらいだが、どうしても「日本武尊陵は堺にあるんだもんっ!」と言いたいのなら、もはや否定しない。

気候編集

暑い。5月から10月まで水浴びで十分である。お湯なんぞかぶってられるか。地底人基地における冷房等の電力消費によるヒートアイランド現象が原因と思われる。ただし、難波日本橋のような体にまとわりつく湿気はそれほど感じない。

名所編集

美原問題編集

美原問題とは、何のとりえもない高石市の制圧に失敗した堺が、美原町を武力制圧した事件である。美原側はこの町の誇りである鋳物師らの生成した金属製武器で健闘したが、地底人側からの地底からの残虐とも言える攻撃の前に公には屈した。政府はこの問題について遺憾の意を表明しているので何もするつもりが無いことが見て取れる。